自転車


 

どこまでだって行けるような気がした。というのが初めて自転車で走った時の感想。

小学二年生でやっと自転車に乗れるようになった。今まで歩いて30分もかかった学校までたったの10分。早い早い。自分がまるで風にでもなったみたいに僕は必死で自転車をこいでいた。行動範囲が一気に広がった事は、当時の幼い僕には新しい世界が見つけたみたいだった。夢中で色んな道を走り、生まれて始めての小さくて、壮大な冒険を楽しんでいた。

それ以来、どこに行くのも一緒だった。友達と映画を見に行く時、友達たちはみんな電車で映画館のある隣町まで行ったが、僕だけは自転車を走らせていた。片道50分、大した距離じゃない。そう友達に言ったら「だってチャリこぐの疲れるじゃん。」と返された。疲れる?僕は自転車で走る事が何よりも楽しかった。自転車に乗ってる時は嫌な事は全部忘れることができるし、風を切って走ってる時は自分が何よりも早く走ってるように感じられた。疲れたなんて感じた事は一度もなかった。

元旦に朝日を見に行った事もあった。海まで何キロあったかはよく覚えてない。けど確かにすっごい長い距離を走った。その時に見た朝日の事はあまり覚えていないけど、夜にずっと走った事は覚えている。寒かったし、その時ばかりはさすがに足が痛くなっていた。

小学二年生の時から自転車は2回買い換えた。体が大きくなってきたからって事で小学5年生の時に一回。中学校の入学祝いということで祖父が買ってくれたのでもう一回。以来その自転車を2年半立った今でも使い続けている。結構大切にしているつもりだ。磨いたり油を挿したり。

黒い26インチの自転車。後輪に3段階のギアがついてて、カゴが少しへこんでる自転車。左のブレーキが利きづらくて、変なシールがたくさん貼ってある自転車。祖父に買ってもらった自転車。本当に大事にしてる自転車。僕の自転車。

だから自転車が盗まれた時、僕は泣いた。自分でも泣き過ぎだと思うほどに僕は泣いた。泣きながら歩き続け、そして自転車を探し続けた。こんなに泣いたのは、去年飼っていた犬のジョンが死んで以来だった。あの時も一晩中自分の部屋で泣き続けて、次の日目が腫れて学校に行けないほどだった。

盗まれたのは確かに僕のせいだった。駅前のコンビニにパンを買いに行った時だ。すぐ出てくるだろうと思って鍵をかけずにコンビニに入った。でもここでちょっと気になる雑誌があって読んでしまったのがいけなかった。気付くと30分くらいが経っていて、外に出ると自転車がなかった。

結局どんなに探しても僕の自転車は見つからなかった。僕はジョンが死んだ日のように、いつまでも泣き続けていた。そんな僕を見越してか、父は僕に新しい自転車を買ってきた。黒い26インチ。盗まれたのと同じ自転車。けど、盗まれたのとは違う自転車。祖父の買ってくれたものでない、2年半も使っていない、思い出のつまっていないピカピカの自転車。

違うんだこれじゃない。父が買ってくれたその自転車。父にありがとうの一言も言わずにまた自分の部屋に閉じこもる。

盗まれてから4日が経った日の事だった。家でテレビを見ている時に警察から電話が入る。なんでも自転車が見つかったらしい。びっくりした。もう半ば諦めていただけにその時の喜びは言うに尽くせない。どうやら預かってる所が少し遠い場所らしいので父に電話し、帰りにとってきてくれるように頼む。ああ、僕の自転車が見つかったんだ・・・。そう思って待つ、父の帰りはいつもの数倍長く、待ち遠しい時間だった。

ボロボロだった。父が持って帰ってきた僕の自転車は見るも無残にボロボロだった。ところどころ塗装は剥げ、ハンドルは変な方向に曲がり、タイヤは前も後ろもパンクしていた。あの少しへこんでいたカゴに関しては取れてしまったのがなくなっている。サドルの部分もカッターか何かで切られた後があり、中のスポンジが飛び出している。随分と見るも無残な姿へと変わってしまっている。もう乗れたものではないだろう。だけどその自転車は間違いなく僕のだった。買った日に自分で書いた自分の住所と名前。それが薄汚れてはいたがはっきりと読み取れるのだった。

僕は自転車を抱きしめる。ああ、コイツだ。コイツが僕と2年半一緒にしてきた相棒だ。中学入学のお祝いに祖父が買ってくれた自転車。今はもうきっと走れない、本来の働きを失った自転車。いや、それはもう自転車と呼ぶ事すら出来ない鉄の塊。思い出のたくさんつまった、、、役に立たない鉄の塊。

僕は抱きしめ続ける。その塊を、いつまでも。

 

〜〜fin〜〜

 


ろぐ。  とっぷ。


 

 

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